「スピリチュアル」という言葉は、今ではすっかり市民権を得たように思います。
たぶん、江原さんが出演されていたテレビ番組「オーラの泉」あたりから世間の人たちにも受け入れられてきたんだと思います。
私が20代の頃は、この分野「精神世界」とよばれ、本屋の精神世界コーナーは、端っこの方にひっそりありました。
この分野けっこう大好きなんですが、最近は、「通俗的スピリチュアル」が増えたように思います。
スピリチュアル系なんかもともとマニアックな世界なのですが、一般受けするように、「恋愛+スピリチュアル」「仕事+スピリチュアル」「健康、病気+スピリチュアル」というように、スピと何かを組み合わせ、エディットかけたものが多く出てきました。
出版社もちゃんとした本よりも「売れる本」を考えますので、読書離れな昨今、この類いの本がたくさん出版されるのも仕方がないかもしれません。
内容を希釈した薄っぺらい内容の方が分かりやすくなり、そのほうが本も売れます。
大正から昭和初期の霊術ブーム
昔も今もですが、こういう流行りはありました。特に大正から昭和の初めにかけては日本では、特に流行したのではないでしょうか。
大正時代は、「霊術」よばれるものが大流行しました。有名なものでいえば、「霊気(レイキ)」なんかは、今でもセミナーが開催されています。
この時代の医学分野の背景を見てみると、医学的な発見でいえば、アレクサンダー・フレミングが1928年(昭和3年)にアオカビから見付けたペニシリン(抗生物質)の発見があります。
近代的な医療制度が普及すれば、それらへの不満を背景にしたものが生まれます。科学とは対極のものです。「霊術」もこのような背景をもとに流行していったんではないかと思います。
こういうブームは今も昔も同じですね。さすがに今の時代で、「霊術」とかいえば、怪しい感じがするので、「スピリチュアル」だとか「宇宙エネルギ-」だとかになるのでしょうが。
映画リングのモデルにもなった千里眼事件
実は明治時代もこういうブームはありました。
有名なものでは、東京帝国大学准教授の福来博士の千里眼事件というものもあります。
超能力、念写の実験です。映画「リング」のモデルにもなりました。
当時は変態心理学という分野が流行していました。(変態というものはメタモルフォーゼから意味がきています)今でいえば、催眠心理学の分野です。
元会津藩の白虎隊士であった東京帝国大学の総長であり、物理学者でもある山川健次郎立会いの実験では色々あって東大追放にもなりました。(ここで面白いのは、近代兵器に破れた、元白虎隊士という部分だと思います)
福来博士は、なぜ超能力の実験にのめり込んだのでしょうか?それは当時、世界で様々な発見があったことが関係しています。
例えば、キューリー夫人のラジウムの発見、マルコーニの無線の発見がありました。
福来博士も日本初の新エネルギーの発見に情熱を燃やした結果、念写や超能力にのめり込んだと思います。
今の時代でも、リウマチであれば、MTXや生物学的製剤への不満、近代医学への疑問から、自己判断で薬をやめて、自然療法やスピリチュアル系でなんとかしょうと思う人がでてくんだと思います。
スピリチュアルは、僕も好きなので否定はしませんが、そいうことはまずは、標準治療を行ってから考えればいいのではないかと思います。
やはり、薬は効きます。まずは、症状をよくし、そしてスピリチュアルなことをじっくり考えたり行ったりしてはどうでしょうか?
しかし、不思議とリウマチがよくなれば、スピリチュアルや自然療法にドップリだった方たちは、その手のものに興味がなくなります。
せっかく精神的なもの、内面的なものに目を向けることができたのに、閉じてしまうのも何だかな〜と思います。
にわかスピリチュアルなんでしょうか、それとも神社で神頼みの感覚なのでしょうか。
または、リウマチになったことに意味を求めてしますんでしょうか。
目に見えないもの、高次なものに救いを求めるのが人間なんでしょうか。